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藤原三代の栄華と義経・芭蕉


藤原三代
平泉は平安時代11~12世紀後半の100年あまり奥州に華開いた京さながらの都でした。

前九年・後三年の戦いの後、初代清衡が戦で亡くなった御霊を慰めるために建立したとされる中尊寺には多くの寺塔や僧坊があります。
主なものに初代清衡が金色堂を、二代基衡が毛越寺を、三代秀衡が無量光院(後に焼失) を建立、清衡の願いであった仏国土の実現は代々受け継がれ現代に至っています。

2011年6月平泉の文化遺産は世界遺産に登録されました。 副題のー仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群ーは中尊寺や毛越寺の仏教寺院や 浄土庭園などの遺跡群は浄土思想に基づき現生に表現するために作られた事例である事が評価されました。
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その中で金色堂は私たち見る者に壮大なロマンを描かせます。
何故なら東方見聞録に「日本(ジバング)には黄金に輝く家がある」 と云うことをマルコポーロがヨーロッパへ紹介しそれがコロンブスの新大陸の発見までもを生み出したのだと云うことを、 日本人なら誰もが知っているからです。
-平泉善意通訳者の会-
金色堂を前に、右手をかざし金色堂こそ「ジャパン」と云う英語名の発祥地であると、 外国の学生さんたちに説明した処、思わず歓声と拍手が湧き上がりました。大変感動的な光景でした。
金色堂=JAPAN←に大拍手です。
義経
奥州藤原氏滅亡への引き金となった義経の来泉。
秀衡は頼朝に追われて平泉にやって来た義経を庇護しましたが、その死後四代泰衡は頼朝の 圧力に屈し文治4年(1188年)義経を自害に追い込みました。
平泉は国民的ヒーロー義経の最期の地でもあります。
芭蕉
芭蕉は、藤原氏滅亡500年後、平泉文化遺跡に魅せられ、1689年平泉を訪れました。 我々は金色堂に、そして高館に立つ時、芭蕉の俳句を思い出し知らず知らずにその世界に夢を膨らませています。
芭蕉が涙したであろう歴史を伝える風景とその思いを詠んだ弐句は、永遠に日本人の心に語り継がれています。
五月雨の降りのこしてや光堂
夏草や兵どもが夢の跡
奇しくも名のある供を連れて訪れたお二人、悲劇の英雄 源義経と武蔵坊弁慶、 俳聖と称される松尾芭蕉と河合曽良。
平泉での足跡を訪ねながら平泉の世界遺産、黄金文化に触れて見ませんか。。
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